2008年
05月
26日
(月)
23:25 |
編集
「諸君、ビックニュースだ!」
なかつ氏は机をバンバンと叩いた。
「なんと、瀬/名秀明先生の『デカルトの密室』が文庫化するというのだ!」
http://www.shinchosha.co.jp/book/121436/
なかつ氏は大興奮である。
この本が人生を変えたと言っても、決して過言ではないのだ。
それほどまでにこの本は強烈であり、私の思考の基盤なのだ。
ありがとう、この世界。
「解説は攻殻機動隊でお馴染みの櫻井氏!」
これを楽しみにせず、何を楽しみにしろというのだ。
2008年
05月
17日
(土)
23:15 |
編集
(追記にコメントお返事)
「ギルバート&ジョージ! ギルバート&ジョージ!」
なかつ氏は興奮していた。
それはもう思春期の男子学生が道端でまだきれいなエロ本を見つけたときのような興奮の仕様である。
なかつ氏は17日、友達の三島氏(三島由紀夫のファンなのだ)と共に、セレブの聖地、六本木ヒルズへ出陣して、森美術館の「英国美術の現代史:ターナー賞の歩み展」に行ってきたのである。マイブームが「現代美術」のなかつ氏にとって、現代美術界で最も重要な賞の一つである、英国の「ターナー賞」受賞者の作品が勢ぞろいするこの展覧会は、ホワイトチョコレートより甘美なものだったのだ。
その歴代受賞者の中でも特にお気に入りだったのが、なかつ氏のぎゃぼんぎゃぼん騒ぐ”ギルバート&ジョージ”なのである。自らが彫刻になる「生きる彫刻」でお馴染みの2人組みアーティストだ。この展覧会では、11mもある巨大な写真を着色した作品(《デス・アフター・ライフ》)が展示してあった。ポップな色彩なのだが、写る人々の顔はどことなく暗い。
「他の作品もさすがターナー賞、すごかったですね」
そううなずいたのは、なかつ氏の右手にはめられたパペット、生茶パ●ダもどき。
なかつ氏の心の弟子である。
「『死』をテーマに制作を繰り返すデミアン・ハーストの作品、《母と子、分断されて》は、やはり写真で見るのと生で見るのとでは、心にかかる重みが違いますね。親子の牛が2つに分断され、蒼いホルマリン液につかっている・・・・・・うーん皆びっくりしていました。ドン引きの女性、嫌だと言いながらも楽しそうなカップル、へらへら笑う若者・・・・・・。対照的にかわいらしい水玉模様を描いた絵もありましたね」
「かわいかった」
「もう少し考えてものを言ってください」
なかつ氏は小説家を目指しているにもかかわらず、大抵のものを「かわいい」ですますという、シブヤの女子高生のような悪癖を持っていた。そのうちゴキ●リを見ても「かわいい」で終わるのではないかと、生茶パ●ダもどきはハラハラしていた。
「ツボからビデオ、5秒毎に照明がついたり消えたりするだけのものなど、多岐にわたる作品の形態に、ターナー賞の視野の広さと、美術のあり方という根本的な問いが立ち現れてきますね」
「トニー・クラッグ」
最も権威ある賞が生んだ、最も斬新なアート――。
そのコピーが示すように、ターナー賞の歴代受賞者作品を見るだけで、現代美術の大まかな輪郭がつかめるといってもよいかもしれない。彼らの作品は我々の感受性に強烈な刺激を与え、「美」以外の何かも考えさせてくれるのだ――となかつ氏は考えたのだが、口から出たのは”ギルバート&ジョージ”の次に好きだったアーティストの名前だった。作品を見るのが一番という神の取り計らいであろう。なかつ氏の頭が回らないだけということは、一切ない。断じて、ない。
「・・・・・・ともかく、足を運んでよかったですね」
「もちのろん!」
古い。
おそらく、「英国美術(中略)の歩み展」が素晴らしすぎて、思考が多少混乱しているのであろう。
「しかもなんとなくセレブレティな気分になって帰れるのだから、『英(中略)歩み展』は何と素晴らしい展覧会か! ショップも充実、若手アーティストの紹介にも力を入れているし、本当によいところだね!」
しかし現実は、なかつ氏には図録を買うほどのお金もなく、しょんぼりと肩を落とし帰るのだ。
ああ、世知辛い、世知辛い。
関連リンク
・ 「英国美術の現代史:ターナー賞の歩み展」
・ BMW Art Car Collection
(すぐ近くでやっており、いっしょのチケットで入れたので見てきた。リキテンシュタインなど有名アーティストのアート・カーがあり、予想以上によかった。展示空間全体が素晴らしい。)

ターナー賞のちらしを見る生茶パ●ダもどき。
「ギルバート&ジョージ! ギルバート&ジョージ!」
なかつ氏は興奮していた。
それはもう思春期の男子学生が道端でまだきれいなエロ本を見つけたときのような興奮の仕様である。
なかつ氏は17日、友達の三島氏(三島由紀夫のファンなのだ)と共に、セレブの聖地、六本木ヒルズへ出陣して、森美術館の「英国美術の現代史:ターナー賞の歩み展」に行ってきたのである。マイブームが「現代美術」のなかつ氏にとって、現代美術界で最も重要な賞の一つである、英国の「ターナー賞」受賞者の作品が勢ぞろいするこの展覧会は、ホワイトチョコレートより甘美なものだったのだ。
その歴代受賞者の中でも特にお気に入りだったのが、なかつ氏のぎゃぼんぎゃぼん騒ぐ”ギルバート&ジョージ”なのである。自らが彫刻になる「生きる彫刻」でお馴染みの2人組みアーティストだ。この展覧会では、11mもある巨大な写真を着色した作品(《デス・アフター・ライフ》)が展示してあった。ポップな色彩なのだが、写る人々の顔はどことなく暗い。
「他の作品もさすがターナー賞、すごかったですね」
そううなずいたのは、なかつ氏の右手にはめられたパペット、生茶パ●ダもどき。
なかつ氏の心の弟子である。
「『死』をテーマに制作を繰り返すデミアン・ハーストの作品、《母と子、分断されて》は、やはり写真で見るのと生で見るのとでは、心にかかる重みが違いますね。親子の牛が2つに分断され、蒼いホルマリン液につかっている・・・・・・うーん皆びっくりしていました。ドン引きの女性、嫌だと言いながらも楽しそうなカップル、へらへら笑う若者・・・・・・。対照的にかわいらしい水玉模様を描いた絵もありましたね」
「かわいかった」
「もう少し考えてものを言ってください」
なかつ氏は小説家を目指しているにもかかわらず、大抵のものを「かわいい」ですますという、シブヤの女子高生のような悪癖を持っていた。そのうちゴキ●リを見ても「かわいい」で終わるのではないかと、生茶パ●ダもどきはハラハラしていた。
「ツボからビデオ、5秒毎に照明がついたり消えたりするだけのものなど、多岐にわたる作品の形態に、ターナー賞の視野の広さと、美術のあり方という根本的な問いが立ち現れてきますね」
「トニー・クラッグ」
最も権威ある賞が生んだ、最も斬新なアート――。
そのコピーが示すように、ターナー賞の歴代受賞者作品を見るだけで、現代美術の大まかな輪郭がつかめるといってもよいかもしれない。彼らの作品は我々の感受性に強烈な刺激を与え、「美」以外の何かも考えさせてくれるのだ――となかつ氏は考えたのだが、口から出たのは”ギルバート&ジョージ”の次に好きだったアーティストの名前だった。作品を見るのが一番という神の取り計らいであろう。なかつ氏の頭が回らないだけということは、一切ない。断じて、ない。
「・・・・・・ともかく、足を運んでよかったですね」
「もちのろん!」
古い。
おそらく、「英国美術(中略)の歩み展」が素晴らしすぎて、思考が多少混乱しているのであろう。
「しかもなんとなくセレブレティな気分になって帰れるのだから、『英(中略)歩み展』は何と素晴らしい展覧会か! ショップも充実、若手アーティストの紹介にも力を入れているし、本当によいところだね!」
しかし現実は、なかつ氏には図録を買うほどのお金もなく、しょんぼりと肩を落とし帰るのだ。
ああ、世知辛い、世知辛い。
関連リンク
・ 「英国美術の現代史:ターナー賞の歩み展」
・ BMW Art Car Collection
(すぐ近くでやっており、いっしょのチケットで入れたので見てきた。リキテンシュタインなど有名アーティストのアート・カーがあり、予想以上によかった。展示空間全体が素晴らしい。)

ターナー賞のちらしを見る生茶パ●ダもどき。
2008年
05月
01日
(木)
22:10 |
編集
「ごきげんよう、全国のマドモアゼル!」
なかつ氏は元気に挨拶をした。マドモアゼルなどと言って紳士ぶっているが、実際には飛べないただのブタである。紳士の「し」の字すら見当たらない。
「反応のなさにもめげずに、お試し期間は続くよ!」
まずこのブログを見ている絶対数が少ないのだから、反応のないのも当たり前である。ブログを作ると不思議なもので、自分が大声を張り上げて何かを主張しているように思えるが、世界中に存在するブログの数はすさまじいものであり、なかつ氏のゴミホコリのようなブログなど、夕日で紅く染まった草むらに佇む田舎の少年ほど孤独なものだ。
「学生証を外で落として大学から携帯に散々電話がきた人間が、偉そうに何を言うんですか」
そう言ったのはなかつ氏の片手にはめられた心の一番弟子、生茶パ●ダもどきのパペットである。
「うっ・・・それを言ってはおしまいだろう」
なかつ氏が学生証を落としたというのはまぎれもない事実であった。
授業が始まる直前にかかってきたので、それは吃驚仰天したものだった。
「それよりもね、パ●ダくん、私の周りに今、読書する人が少ないのだよ」
なかつ氏にとって読書は、心のバランスを保つ非常に重要な行為であった。高校のときは理系文系問わず読書好きが多かったのでそれはもうルンルンランランと本の話をしてこれたが、ここにきて周りの友達に読書好きが今のところ見つからないのである。
「一体、世界はどうなってしまったのだろうか」
「おおげさですね」
しかしなかつ氏にとって本の話が出来ない毎日というのは、思ったよりも過酷だったのである。夏目漱石を語ればひかれ、本屋で文芸書を読んでいればいつの間にか友達に姿を見失われ、あげくに図書館は好きでないといわれる始末。図書館を心のオアシスとしているなかつ氏にとっては、残念至極なことであった。
読書は素晴らしい「小宇宙小旅行」である。
国境も自我の境も生き物の境も越えて、どこまでもいけるのだ。
科学に対しての興味も、様々な科学者の名前も、芸術への愛も、全ては本から吸収したといっても過言ではない。
正直に言えば、「本がつまらない」と言い切る人間の気持ちがよくわからないのである。
文字の並びだけで、涙し、笑い、鬱になることのできる人間の感情の豊かさ、心の発展を感じることができるのが読書である。
極論を言ってしまえば、人間の知性=本、なのだ。
「ふむ、これは『友達読書人計画』を発動せねばなるまい」
なかつ氏はそっと心に誓った。
周りの人間に、知性の素晴らしさを伝えるため。

↑学生証を加えてせせら笑う生茶パ●ダもどき。
2008年
04月
26日
(土)
22:26 |
編集
「むむむ」
なかつしーマン氏はうなっていた。
やっとこさ大雨の入学式を迎えたと思ったら、すぐそこまでGWがにやにや顔でやってきていたのである。ブログやサイトを4月中には改装!と意気込んでいたのだが、結局できずじまいになりそうなのだ。このなかつ氏、約束を破るのは針穴に糸を通すことより得意であった。
GWがあるじゃないか、黄金週間だ!となかつ氏は密かにつぶやいた。
「いかにすべきか」
実はなかつ氏は、「だ・である」口調の一人称の文章を書く事が、恥ずかしい人間だったのである。毎回毎回、気を抜けば「です・ます」口調を越えてうざったいほどへりくだった文章がづらづらと並び、慌ててそれを消しては、脂汗を流しながら「だ・である」口調の文章を作っているという状態だった。
ならばいっそのこと、将来の夢、小説家になるための訓練もかねて多少小説っぽい文章で新年度は行こうと、お風呂の中で考えてみたのである。今のなかつ氏の頭は、シャンプーのいいにおいがしている。
「どうもこうもないですよ」
そう言ったのはなかつ氏の右腕にはめられている心の弟子、生茶パ●ダもどき(写真参照)であった。正式な生茶パ●ダに比べてえらがはりすぎた、パペットである。妹がどこかから拾ってきた、何の由緒もない代物だ。
なんとなかつ氏は「一人じゃ寂しいのである」と自分自身に駄々をこね、会話の練習にもなるだろうと理屈もこねて対話風のブログにすべく勝手に弟子を作りあげたのである。
生茶パ●ダもどき(ちなみに名前は募集中だ)は口をぱくぱくさせた。
「まったく、こんな調子で大丈夫ですか」
「大丈夫、次のネタは決まっているのだ。『写真という芸術』、これで決まりだ! 小説を書くのは妄想の次に好きだから、きっとなんとかなる」
なかつ氏は「20世紀の写真展」に行ってからというもの、写真と芸術の関係についてぼんやりと思考をめぐらせていたのである。その思考はすぐ「おなかすいた」に乗っ取られてしまうのだが、なんとか思考がまとまったのだ。
「ものは、試し」
なかつ氏はつぶやいた。
なかつ氏の目指すブログは読んでいてつまらなくないブログであった。
さっそくその目指すブログから外れたような気がしていて、ちょっと落ち込んだ。

2008年
04月
11日
(金)
00:31 |
編集
追記にて、noviさんへのお返事。
森博嗣の「夏のレプリカ」を読了。
やっぱり犀川先生が好きだなぁ、と思う。
私も周りから見れば、話題がぶつ切りになっているように見えるのだろうな。
一応私の頭の中では関連しているのだけれど。
そうそう。
今日一番おもしろかったことは、
「時間という語は明治にできた」 ってこと。
「時間」という語は、明治の哲学なんとか(曖昧すぎる)という本に初登場したらしい。
timeの訳語。
考えてみれば古文で「時」はあっても「時間」はない。
「時間」という概念がどのくらい昔からあったのかは知らないが、「時間」という語の歴史は200年もないわけだ。
しかもtimeの訳語、自発的に出来た言葉ではない。
なのにこんなに「時間」に踊らされてる日本人。
なんだか、虚しい。
しかし、「時」と「時間」は何か違うのだろうか・・・・・・時計で表示されるのが、「時間」かな?
むむむ。
まあ、詳しく思考するのはまた今度にしよう。
森博嗣の次は森絵都を読む予定。モリモリー。(笑)

